連盟について
- 名称
- 県北野球連盟/福島県野球連盟県北支部
Fukushima North Baseball(略称F.N.B.B.) - 上部組織
- 公益財団法人全日本軟式野球連盟福島県支部/福島県野球連盟
- 目的
- 本連盟は、福島県内のアマチュア野球の健全な発展向上を期するとともに会員相互の親睦を図り、野球による体位の向上とスポーツ精神の高揚に寄与することを目的とする。
- 設立年月日
- 1946年(昭和21年)2月
- 会長(支部長)
- 伊藤 健一(いとう けんいち)
- 正会員(加盟チーム)数
- 58チーム(2020年4月末現在)
- 会員(役員、審判員 他)数
- 100名(2020年3月末現在)
- 連盟設立までの歩み
- 福島県に野球が伝わったのは1894年(明治27年)ころ、福島市五月町にある浄土真宗本願寺派康善寺の海野善堯住職が龍谷大学(京都市)在学中に知ったものを、帰郷後にお寺の境内で近所の子供たちに教えたのが最初です。同寺が本県野球の発祥の地といわれる由縁です。
- その教えた子供のなかには住職自身の子、篤之氏もいました。同氏は、父の指導や影響から野球への情熱を一手に受け継ぎ、1930年(昭和5年)には本県社会人野球チームの草分けといえる福島倶楽部(現福島クラブ)を結成します。結成3年後の1933年(昭和8年)には東北大会を優勝し、本県チームで初となる全日本都市対抗野球大会(第7回大会。現都市対抗野球大会)へ監督兼選手として出場を果たしました。1932年(昭和7年)から20年間は、福島中学校~福島高等学校野球部の監督を務め、子供たちの教育や競技力向上にも尽力し、1941年(昭和16年)から同寺の住職に就任したこともあり、「野球和尚」の異名のもと県内球界のリーダーとして活動の場を広げていくことになります。
- 先の大戦を経験した後、1946年(昭和21年)に福島倶楽部の中心選手とともに設立したのが、本連盟の県北野球連盟です。その理由も、いち早く野球を復活、復興したいという強い思いからでした。終戦からわずか半年後の2月のことです。
- 翌1947年(昭和22年)3月1日には、本県初の野球を愛好する人たちによる県内全域の体系的な組織、福島県野球連盟が誕生しました。これも同氏が、初代会長として35年間(~1982年(昭和57年)まで)という長きにわたり務め、組織作りと運営、選手の育成など、本県野球の普及と発展のために貢献しました。
- ※参考文献『福島県野球連盟五十年史』(2001年(平成13年)2月20日発行)